第19回 史跡巡りの会

「鵠沼の開発の歴史を追って」

第19回史跡巡りの会は平成26年11月15日(土)に「鵠沼南部開発の足跡を訪ねる」をテーマに吉澤忠雄幹事を講師として開催された。参加者は27名、うち7名が初参加。

鵠沼公民館を出発する前に、土地っ子である並木宏之代表幹事から説明があり、昔は小田急江ノ島線の西側の本鵠沼一帯に農地が拓けていて人々が住んでいたが、東側はまだ開発はされておらず砂丘が連なっている状態だったという。

鵠沼に開発の手が入ったのは明治23年御用邸の候補地になる見込みということで子爵大給近道が約25万坪の土地の払い下げを受けたことに始まった。結局は御用邸が葉山に決まったが、大給家の差配人伊東将行が華族や財界人を相手に一区画3千坪という大規模な別荘地を分譲した。伊東将行は旅館東屋を開業すると同時に貸別荘を開業した。ここには多くの文化人・文人が逗留し活発な交流が行われていた。明治35年の江ノ電の開通によって鵠沼駅が出来てから別荘地としての利用価値が大幅に上がった。
大正12年の関東大震災では津波もあって大きな被害がもたらされたので、それまでの大規模別荘所有者は鵠沼を離れ、区画も徐々に分割されていった。昭和初期には地元の人々により住宅地、別荘地(一区画3百坪)が開発されるようになった。

昭和4年には小田急江ノ島線が開通し鵠沼海岸駅の開業により、商店が駅前通りに集まり発展し、東京方面へ通勤する居住者が増え、以降、住宅地化が進んだ。ここの特徴は政治家、学者、文学作家関係、芸術家、役者芸能人など多彩な住民が集まっている文化度の高い街といえる。 鵠沼公民館内の「鵠沼郷土資料展示室」には郷土史研究会「鵠沼を語る会」が調査した膨大な資料が収納保管され閲覧に供している。
主な見学ポイントは、実業家・吉村鉄之助別荘跡、関東大震災でここに滞在中だった東久邇宮第二王子が遭難した碑があった➡国分別荘、元蜂須賀家の別荘➡赤別荘跡、天下の糸平二代目の別荘跡、昔は赤い塀で囲まれていた➡ニエアル記念公園、中国の作曲者、藤沢滞在中に遊泳中水死、「義勇軍行進曲」は現在の中国の国歌➡旅館東屋跡碑、多くの文士、芸術家などが利用し「文人宿」と云われた➡芥川龍之介居住跡・小説「歯車」の床屋➡郷誠之助別荘跡➡長谷川巳之吉邸跡➡内藤多仲邸跡➡山中隣之助別荘跡➡岸田劉生居住跡➡大給別荘跡➡杉原千畝居住跡➡森嶋守人邸跡➡馬越恭平別荘跡➡五島雄一郎邸➡加来神社➡藤が谷高瀬邸➡林達夫邸(平成26年度国登録有形文化財)➡邦枝完二邸跡➡秩父宮別邸跡➡川袋高瀬邸跡・江之島水道跡➡橘通り郵便局➡旧後藤医院(平成22年度国登録有形文化財)
講師の吉澤忠雄幹事には非常に詳細な資料を準備して戴いた。我々は長年この土地に住んでいて様々な情報を耳にすることがあるが、その後の再開発で跡形もなくなっているものが多く中々現場を特定することが出来ないでいたのだが、今回の史跡巡りで多くの場所を特定することが出来て、鵠沼に対する愛着を増すことが出来た。

畠山正樹(昭39商学)

〈参加者〉

粟野和實、磯貝正勝、稲葉紘、大川孝之、小川洋、影浦陽子、加藤晃、金子陽一、金田博允、川田博雄、神谷敏隆、菊田董、小池清志、古性和子、近藤男児、中森高、並木宏之、畠山正樹、花土昌三、前田勤、三潴信道、矢崎英之、矢崎允子、山田脩一、山成健治、吉澤忠雄、渡辺明